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live report

タイトル

OLEDICKFOGGY "POPs TOUR 2020" LIVE REPORT!!

Report by 柴山順次(2YOU MAGAZINE)
Photo by タカギユウスケ


2020.3.1
OLEDICKFOGGY "POPs TOUR 2020"
@名古屋 池下CLUB UPSET


3月1日、晴天。しかし心はどこか晴れず。この国を覆う空気感がそうさせているのは明白で、2月26日の政府からの要請以降ライブハウスを取り巻く環境が日に日に変わっていくことが気を重くさせる。あの日以降、止む無く公演を延期、中止を選択するアーティスト、ライブハウスが増え、SNSを開けば延期、中止の文字が飛び込んでくる。しかし、開催の選択も、延期・中止の選択も正しい。「不要不急」とされた音楽は誰かにとっては不要で不急なものなのだろう。しかしまた誰かにとっては生活の一部、いや、生活の全てだったりもする。その選択は誰かの物差しでは決して測れないし自分の物差しだけだったら測れてせいぜい30センチだ。他の誰でもない、自らの選択でOLEDICKFOGGYがライブをするから、自らの選択でライブハウスに来た。そんな当たり前のことを、当たり前だと言い聞かせながらライブハウスに向かう。

会場のUP SETの階段を登りフロアに入ると思った以上に人が少ない。ここで誇張しても仕方がないからはっきり書くが、開始10分前の段階ではとても満員と言える状態ではなかった。同日の名古屋では他のライブハウスでも軒並み公演が中止となっていただけに、仕方がないことだとは思ったが、今回のツアーを以ってベースのTAKEが無期限長期休養に入る為、名古屋でTAKEを含めたOLEDICKFOGGYが観れるのは一旦最後となるこの日、ステージの上で出番を待つウッドベースを眺めながら未知のウイルスを心底憎いと思った。考え込んでいたからか、ネガティブな気持ちが前に出てしまっていたのか、しばらく気持ちここにあらずだったことは否めない。我に返ったのはライブ開始1分前のことだった。いつの間にか満員になっていた会場、SEもなく、ステージに次々と現れるメンバー、楽器を手にしたと同時に雪崩れ込むように演奏が始まった。「シラフのうちに」だ。この瞬間、何かが弾けた。それは自分だけでなく、後ろにも前にも右にも左にも、爆発的に伝わっていった。まるで線を引かれたみたいに変わってしまったあの日とあの日以降の日本。しかし目の前のOLEDICKFOGGYが「昨日までは良かった」なんて台詞を飲み込ませてくれている。今日、この日、この曲を1曲目に演奏したことが偶然なのかどうなのかは分からない。確かなのはOLEDICKFOGGYがたった1曲で「こんなはずじゃなかったんだろう」とフロアに火を点けたということだ。
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アルバム『グッド・バイ』の流れのまま「シラフのうちに」から「グッド・バイ」に繋がるというライブではお馴染みの流れは今日も完璧。呼吸が止まるほど爆発寸前なフラストレーションを持ち寄ったライブハウスで固定概念だとか、ありもしない常識だとか、誰かが決めたルールに大手を振ってさよならする。やはり今日のOLEDICKFOGGYは今の心情と重なる部分が多い。バンドの存在証明ともいえる「Rusticが止まらない」の軽快なイントロが鳴り響くと会場からは歓声があがる。今の状況だからこそ止まらない、止めない、という意思表示。この曲のサビをこれまで何回ライブで一緒に歌っただろう。これから何回歌っていくだろう。この光景がずっと続くことを切に願う。「HELP」「海のゴート」でラスティックを堪能したら、ニューアルバム『POPs』よりOLEDICKFOGGY流世界平和ソング「Grave New World」で踊り狂うフロア。その熱狂は高速ナンバー「サヴァ」に雪崩れ込み、まだ開始から僅かだというのにUP SETに熱がこもる。その様子に「元気そうですね。こんな大変なときにありがとうございます」とはにかむ伊藤。
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今回のツアーでTAKEが無期限の長期休養に入ることが否が応でも頭に浮かぶ叙情的な感傷的なナンバー「春を待つように」のエモーショナルも凄まじかった。「月になんて」で「躊躇いと勇気は似ている」と歌った彼らがTAKEの休養のタイミングである今「春を待つように」では「分かり切った結末に飛び込む勇気が欲しくて」と歌っている。何が怖くて、何を求めているのだろう。あらゆる選択を迫られたとき、そこに付随する勇気や躊躇いについて考えるとき、きっと今日のOLEDICKFOGGYのライブを思い出すだろう。
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バブリーでバブルガムな世界観で情事を描いた「不毛な錯覚」はライブでどう演奏されるか楽しみだったナンバー。見どころはやはり「エナジー」「トリガー」のコーラスだろう。ソウルフルなコーラスがスージーのTシャツをまるでタキシードのように見せる。こういう隠し技のようなニュアンスの入れ方もOLEDICKFOGGYの面白さだ。場末のクラブ感から覚醒する「土蜘蛛」、「目の前にある其の真実が現実だ」と叩きつける「blow itself away」と感情的な曲が続く中で演奏された新境地ともいえる変拍子曲「レインコート」の異質さもライブにバリエーションを加えるポイントとなっていた。耳に残るリフをストレートではなく変拍子で聴かせる手法がこれまでのOLEDICKFOGGYでは見られなかったアレンジだ。このポリリズム的ニュアンスはライブでもばっちりはまっていた。
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何度も書いているように、昨今の状況によりライブハウスを取り巻く環境は一変した。いや、もともとマイノリティだったものが浮き彫りになったのかもしれない。ライブハウスに何十年も足を運んでいると出会いもあるが同じだけ別れもある。あの頃ライブハウスでよく見かけていた顔も随分減った。その都度「みんないなくなったな」と思っていた。それは今回の新型コロナウイルスでライブハウス自体がやり玉に挙げられている今も感じることだ。しかし「いなくなったのは俺の方だったんだ」を聴きながら、もしかしていなくなったのは自分なのかもしれない恐怖を感じた。いや、それが恐怖なのか、それは原稿を書いている現時点でも分からない。ただ自分で選んでここにいることは何も間違っていないと思う。例えいなくなったのが俺の方だったとしても、OLEDICKFOGGYはきっと肯定してくれるだろうし、OLEDICKFOGGYのライブにはそういう奴らが集まっているんだと思う。

yossuxiのアコーディオンが映える「チブサガユレル」のポップさとメッセージ性の協和性もOLEDICKFOGGYの真髄だ。「やり残したことはやらなくてもいい」なんて背中の押し方もあるんだ。この曲をライブで観るたびに同じことを思うし、今日もやっぱり思った。きっと次またライブで聴いたら同じことを思う気がする。
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『Gerato』のエンディングを飾っていた「ベターエンド」がリリースから2年経って表情が少し変わっていたのが個人的には今回のライブの発見でもあった。板についてきたドゥーワップなコーラスも、曲中で顔を覗かせる「アステマ」のギターリフも、ちょっと久し振りに会った友達のように感じた。この感覚、上手く文字に出来ないのだが、アルバムのツアーで以前の曲を演奏するときにたまに感じる感覚だったりする。今日のライブではその役割というか立ち位置にあったのが「ベターエンド」だった。
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様々な楽器を用いてインド的アプローチを見せた「WHY」、フロアが一斉に沸いた「マネー」の絶対的アンセム感、軽やかなリズムで大合唱させる「神秘」とライブ後半も攻めまくる。順堂のドラムがロールする「地下で」、泣きのギターが涙腺を刺激する「ヴィーナス」で会場を煽ると、ステージの照明が落ち伊藤を照らす。「Gerato」だ。「憔悴しきった地球が回る」とはまさに今の状況にリンクする。サイレンは鳴り響くけど、いつか止む日が来る。ゆっくりと眠れる日が絶対に来る。そう強く思わせてくれた。そして毎回ライブで涙を堪えるのに必死な「月になんて」では案の定感情が溢れてしまった。「躊躇いと勇気は似てるから踏み出した足は半歩でも前に」「僕は間違ってないはずさ」この歌詞に何度救われたことだろう。ライブを観ながら、どれだけ拳を上げていても、どれだけ暴れていても、「月になんて」だけは一期一句浴びるように聴き入ってしまう。政治も音楽も全部が生活。全部が自分のこと。考えて選択して実行する。そうしてまたライブハウスで確かめる。この生活が不要で不急だとされた我々の毎日だ。俺は、俺達は、間違ってないはずだ。「今夜もきっといつもの夜さ」とライブ終盤、「日々がゆく」で歌い上げた伊藤。そう、日々はゆくのだ。池下の街で夜の底から見上げ、今日の夜、ここで起こったことを思い返していた。いつもの夜であって特別な夜。そして本当の本当に言いたいことは最後の最後で「歯車にまどわされて」で全部言ってくれた。アンコールなし、途中「Police Bastard」や「暁のメナム」を一瞬挟みながらもほぼノンストップで走り抜けたライブがあっという間に過ぎた後、気付いたら心を覆っていたモヤモヤは何処かにいってしまっていた。
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