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interview

TRUST RECORDS 15周年記念 INTERVIEW!!

Interview by Chie Kobayashi
Photo by Ruriko Inagaki



BACK LIFTやENTH、KUZIRAらを輩出してきた名古屋のインディーズレーベル・TRUST RECORDSが創立15周年を迎えた。横のつながりも、縦のつながりもなかったという名古屋のバンドシーンに大きく影響を与えたTRUST RECORDS。その15年間を、主宰・綿谷剛氏に振り返ってもらった。


BACK LIFT所属で大きく動き始めたTRUST RECORDS


──そもそも綿谷さんがTRUST RECORDSを立ち上げたきっかけは何だったんですか?

高校卒業のタイミングで、バンドで食べていきたいと思って名古屋に引っ越してバンド活動をしていたんですが、そのバンドを広めるために仲間のバンドを集めてコンピレーションアルバムを作って。そのコンピをリリースするためにレーベルを作ったのが始まりです。当時はレーベルをやっていきたいという気持ちはまったくなくて、自分のバンドを広めるきっかけにしたいというくらいでしたね。でもイベントを組んだり、コンピを作ったりしているうちに、バンドよりもイベントを組むほうが楽しくなっちゃって。自分はバンドよりも裏方のほうが合っているのかもと思って裏方業に専念しました。それが22歳のときです。

──ご自身のバンドの次にリリースしたのはどなただったんですか?

自分のバンドは出してないんですよ。コンピを5〜6枚作っただけで。単独アーティストを出したいと思った時に、若い奴がやってる聞いたこともないレーベルからじゃ誰もCDを出してくれないと思って、まずレーベルとしての実績を作りたいと思い、当時流行していたmy spaceを使って、海外のバンドのリリースやジャパンツアーを何度か企画しました。そんな中で、高校時代に対バンしていた仲間が大学で始めたARUというバンドとたまたま再会して。そのARUが音楽的にもすごく良くて。TRUST RECORDSからリリースした日本のバンド第1弾がARUになります。何の知識もないまま、何もわからないままレコーディングして、プレスして、流通会社にお願いして……って特に主だったプロモーションも出来なかったんですが、そのCDが3000枚くらい売れたんです。それまで作ったコンピはせいぜい出荷50枚とかだったのに。それで「レーベル楽しいな」と思って、そのままのめり込んでいきました。あれがなかったら続けてなかったかも。



──そこから所属バンドを増やしていくわけですが、レーベルの色のようなものはいつ頃固まったのでしょう?

かなりあとですね。ARUの次に出したRADICAL ARTSもギターロックのバンドだったし、そのあとはEDDY、JANGA69、LOOSELYと、歌もののバンドが多くて。そういう意味ではBACK LIFTが入ってくれたのが転期だったかも。BACK LIFTが入ったのが2010年なんですけど、その直後に東日本大震災が起きてJANGA69が活動できなくなって、同じくらいのタイミングでEDDYがレーベルから抜けて、ARUもメンバーが抜けて活動が止まって。レーベルのバンドが続々と止まってしまうタイミングだったんですよ。だからBACK LIFTが入って、レーベルの第2期が始まった感覚ですね。

──先日、BACK LIFTに取材したときも「自分たちがTRUST RECORDSを大きくする」という気持ちで所属を決めたと話していました(参照:https://satanic.jp/news/detail/MTIwMA==)。

完全にそうしてもらいましたね。僕もそう思っています。そのあと、EVERLONGやENTHが入って。レーベルとしてメロディックパンク色が強くなってきたのはそのあたりですね。

──BACK LIFT、04 Limited Sazabys、ENTHあたりのバンドに聞くと、みんな揃って「先輩がいない」「当時、名古屋には縦のつながりも横のつながりもなかった」と言っていて。TRUST RECORDSがメロディックパンクのバンドを増やしたあたりから、“名古屋のシーン”のようなものに変化が生まれてきたんじゃないかなと思うのですが、そのあたりは心当たりありますか?

そうですね。それまでどっちかというと名古屋は歌もののバンドが盛り上がっていたので、メロディックパンクのシーンを作っていきたいという話はよくみんなでしていましたね。BACK LIFT、04 Limited Sazabys、THREE LIGHTS DOWN KINGSのあの世代から、名古屋にメロディックパンクのシーンが出来始めてきた感じはありますね。


バンドと夢を叶えていくのが一番の喜び


──BACK LIFTが入ったのが第2期とおっしゃってましたが、第3期を挙げるとしたらいつでしょうか?

いつだろうな……最近ですかね。BACK LIFTが卒業して、ENTHが自主レーベルを作って、トラスト内にも別名義のレーベルができて、KUZIRAもPIZZA OF DEATHにレーベルは移籍して。意外とTRUST RECORDSのバンドがいないっていう(笑)。

──そう言われると確かにそうですね。今はずいぶんバンドの幅が広がってきていますが、綿谷さんがTRUST RECORDSで一緒にやりたいと思うバンドは、どういうバンドなんですか?

本当に直感です。それこそ1回のライブで自分の中では絶対一緒にやりたいと思う時もあります。個人的には声に特徴のあるバンドが好きですね。上手い下手も重要なんですけど、それじゃなくて、一聴して「このバンドだ」ってわかるバンド。癖のあるというか、引っかかりがあるというか、そういうボーカルが好きですね。

──“東海シーン”のようなものは意識しますか?

そこにはあまりこだわってないですね。所属バンドもなんなら大阪のバンドが多いですし。名古屋にはもちろん愛着はありますけど、「名古屋を盛り上げたい」というよりは「自分の好きなバンドを全国に広めたい」という気持ちのほうが大きいです。



──同時にライブハウス経営(栄R.A.D、大須RAD HALL、大須Toys、栄Party'z、新栄RAD SEVEN.)もやられていますが、この15年間のライブシーン・音楽シーンの変化はどう見ていますか?

コロナ禍になるまでは特に変化はないように感じていました。でもコロナ禍に入って……特に最近はさすがに心が折れそうになりますね。

──コロナ禍で綿谷さんご自身はどんなことを考えていたのでしょう?

特に去年の3月半ばから6月くらいまでは何もできなかったので、ずっと家にいて延期や中止、キャンセルの連絡を入れる日々で。改めて「自分は音楽がなかったら何の価値もないんだ」と思いましたね。生活面の保証として音楽以外の事業も何か出来ないかと考えたんですけど、結局、やりたいことは音楽でした。お金のために何かしたいって思わなかった。

──レーベル経営やライブハウス運営は、綿谷さんにとっては仕事ですが、生活のためにやっているという感覚はない?

無いです。

──とはいえ、コロナ禍という状況を置いておいてもレーベル業って大変じゃないですか?

大変なのは早起きくらいですね。朝まで飲んで「明日10時か」っていう、それくらい。ほかは全部楽しいですね。

──中でも一番喜びを感じるのはどんなときですか?

バンドの成長を感じるのが一番うれしいですね。バンドそれぞれにビジョンがあって、その夢を一緒に叶えていくのが楽しいです。

──そのビジョンは綿谷さんが提示するんですか? それともバンドが自主的に?

BACK LIFTはちょっと別でしたが、BACK LIFT以降は基本的にバンドがやりたいことをサポートするという形です。親心からいろいろ言いたくなることももちろんあるんですが、自分たちがやりたいことをのびのびやっているほうが、結果もよくなるんですよね。自分の考えだけが正解じゃないんだなということに気付いたので、今はバンドを信じてみようと思う気持ちが強いです。