
山人音楽祭 2025 DAY 1 LIVE REPORT!!
Report by Chie Kobayashi
Photo by HayachiN(赤城)、半田安政(榛名)、タマイシンゴ(妙義)
今年も「山人音楽祭」が群馬・日本トーターグリーンドーム前橋で開催された。2016年に「山人音楽祭」と改名してから、10年を迎えた。2020年にはコロナ禍により開催を見送ったが、翌年2021年と2022年は高崎芸術劇場に会場を移して開催、2023年から再びグリーンドームに戻ってきた。困難に立ち向かいながら、形を変えながらも続けてきた、まさにG-FREAK FACTORY の結晶のようなイベントだ。
2025年の「山人音楽祭」ももちろんNAIKA MCのオープニングから。例年、NAIKA MCがここで資料を手に注意事項を説明していくのだが、今年は初めて何も見ずにアナウンス。積み重ねてきたからこそ行うことができるものだ。さっそく10周年というイベントの歴史を感じさせ、フリースタイルラップでいざ開幕!
今年の赤城STAGEはENTH、Age Factoryと、初めて赤城STAGEに立つ2組がトップバッターと2番手を担った。「とにかく着火剤みたいな役割になろうと思っている」と言ったENTHは、「SLEEPWALK」で自己紹介したあと、「ムーンレイカー」でまさに着火。今年の山人音楽祭のチューナーを爆上げにセットした。
KOTORIがノスタルジックな轟音で幕を開けた榛名STAGEには、SKA FREAKSと花冷え。が初出演。SKA FREAKSは「待ってたよ〜」との声を受けつつも、初めましてのファンが多いこともわかっていたはずだが、蓋を開けてみれば、Syusaku(vo)の先導と山人音楽祭に集うリスナーの遊びたい気持ち、何よりも彼らが地元を愛し、地元を背負うという強い覚悟に心をうたれ、軽快なスカチューンでは踊り、メロディアスなパンクチューンではシンガロングと、歓迎を受けていた。
そしてこの日は、昨年より復活した野外の妙義STAGEが興味深かった。この日は、お馴染みのDJダイノジ、群馬の音楽家集団・上州弾語組合、能登半島応援企画『MAKE A PROMISE TO NOTO』、高木ブーが登場した。能登半島応援企画『MAKE A PROMISE TO NOTO』では、復興支援を行なっているTokyo Tanaka(MAN WITH A MISSION)の弾き語りのほか、復旧活動を続ける金沢の防災士・バカビリーが能登の現状を切実に語り、集まったリスナーがそのリアルな言葉や歌声を必死に受け止めていたのが印象的だった。
また高木ブーは昨年、山人音楽祭に出演予定だったが、骨折のため出演ができなくなってしまった。リベンジとなるステージに、ふらりと現れると、ゆるやかなハワイアンや、ラテンのスタンダードナンバー「キサス・キサス・キサス」や、松山千春の「恋」など様々な楽曲を、久しぶりの山人音楽祭に届けていった。群馬の音楽家へステージを用意することで、群馬の音楽シーンを活性化させ、同時に離れた土地だろうが震災で傷を負った街にも心を寄せ、何歳になってもステージに立ち続ける大先輩を迎える。G-FREAK FACTORYがG-FREAK FACTORYたらしめるものが、この日の妙義STAGEには詰まっていた。なお、この日の前橋の天気は、大雨も含めて、雨が降ったり止んだり。それにも関わらず、妙義STAGEに人が途切れていなかったのも、山人音楽祭の思いが観客に伝わっていることの証拠だろう。
赤城STAGEで異彩を放ったのが、「山人音楽祭」初出演となった氣志團。1997年結成で、G-FREAK FACTORYとは同期の彼らは「切磋琢磨して鎬を削ってずっと、ロックバンドという危ういものを続けてきてる戦友のようなものだと思っています」「同期だけどめちゃくちゃ尊敬しています」とG-FREAK FACTORYについて思いを寄せ、その思いを音に、「氣志團万博」の映像と共に届けた「房総魂」や、その名の通りキュートなロックンロールチューン「萌え萌えROCK'N'ROLL」など、目と音で楽しませていく。前日に群馬に入ったという彼らは、昨日、目が合った人に「何中?」と聞いて回ったといい「フェスの何が好きって、みんなの好きが集まるところだよ。好きがたった一個あると強くなれるな。好きなエネルギーが集まってるから大好きなんです」と、自身も地元でフェスを開催しているからこその言葉を残していった。
後半はThe BONEZ、locofrank、10-FEET、HAWAIIAN6と、猛者たちが赤城、榛名に次々に登場。グリーンドーム全体が加速していく。10-FEETのライブでは「RIVER」の曲中、TAKUMA(Vo, Gt)が「俺が絶対助けたるから」と叫んでいた。これはTAKUMAが友達に言われて一番うれしかった言葉だといい、その言葉をくれたのが“茂木ファクトリー”と、ROTTENGRAFFTYのN∀OKIだという。「好きなやつにその言葉を言われたときに気持ちをみんなにも味わってほしいと思う」との思いから、ここで伝えたそう。こうして愛は繋がっていく。そして次に選曲された「アンテナラスト」では茂木洋晃が歌いながらステージに登場。歌い終えて、ステージを去る茂木に向かって、TAKUMAは「絶対俺が助けてやんぞ!あと髪の毛切る気になったら俺が切ってやるぞ!」と言葉を贈った。
G-FREAK FACTORYはジャムセッションから「YAMA」でライブをスタート。<KOされた街 誰もいなくなった あれからどれくらい時間が経った? アイツは腐らなかった 悪あがきさ>の言葉が、そのまま「山人音楽祭」の歴史と重なる。さらに、受け取ったバトンを振り回すかのごとく、「REAL SIGN」「Unscramble」とアグレッシブに畳みかけていった。
去年の山人音楽祭、群馬でこの祭典が行われていた裏で、能登では大きな水害が起きていた。茂木は、山人音楽祭に必死で、能登に心を寄せられなかったことを悔やんでいたという。だからこそ、今年は能登半島応援企画を行なった。そして「今日は能登に向けて」と添えて、「ダディ・ダーリン」を届ける。なぜなら「小さな力かもしれないけど、みんなが集まったらこんな大袈裟なことができてさ。ここグリーンドームにこだわってやってきたこと、間違いじゃなかった」と、ここでG-FREAK FACTORYが仲間と共に音を鳴らすこと、それを続けることで賛同者が増えていくことを、今のG-FREAK FACTORYは知っているから。言わなくても自然とフロアからはスマホのライトが付き、彼らの全身全霊の演奏と共に拳が上がった。そして「GUNMA ROCK FESTIVAL」の始まりとなった「EVEN」で本編を締めくくった。アンコールでは、加入して3年のLeo(Dr)が「俺にも10年味わわせてくださいよ」と20周年への期待を寄せ、それを聞いた茂木も「20周年、いけたらいいな」とは笑った。そして昨年のリベンジとして高木ブーを中心に、鬼に扮した出演者をステージに呼び込み、ザ・ドリフターズ「いい湯だな」でハッピーなエンディングを迎えた。
この日のステージで茂木はこう話していた。
「各地にいろんなもっと快適なフェスがあったり、もっともっと音楽よりもみんなの心を埋める何かが会場の外にあるかもしれないけど、山人音楽祭を選んでくれてありがとう」
この日山人音楽祭に集まった人たちが、ここを選んだ理由は、そのあと続けた茂木の言葉に詰まっているのだろう。
「10歳になりました。気づいたら10年もこんなにイカれたことやってます。妙な意地みたいなものが、この景色が、続けるモチベーションと、続けていくエネルギーになっています」
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