THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION Vol.08:Tomoaki Otsuka
Photograph by Yuta Kato、Text by YT
SATANIC ENT.はライブハウスから生まれるシーンを紹介するメディア。では、ライブハウスではバンドやアーティスト以外にどんな人が働いているんだろう? ライブハウスの店長さんやスタッフさんはどんな経緯を経て、そこで働いているんだろう? 言わば"ライブ職人さんたち"に、そんな疑問をストレートに投げつけまくるのが本企画"THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION"! 登場するのはPA、照明、バンドのマネージャーさんやレコーディングエンジニア、ライブハウスシーンを取り巻く人を徹底追求!
フォトグラファーの柴田さんよりこの人のインタビュー記事を読んでみたい!との提案と共に紹介していただいたのが老舗ライブハウスの新宿LOFTや下北沢SHELTER、そしてLOFT HEAVENにFlowers Loftと4店舗の統括部長としてライブハウスの経営を担う大塚智昭さんだ。リハーサル後の空き時間に撮影許可をいただき、元店長として20年ほど勤めていた場所でもある新宿LOFTへ潜入して、ライブハウスで働く魅力をあれこれ伺った。
Hi-STANDARDの存在がライブハウスで働くきっかけに
ーまず、今回紹介いただいた柴田さんとはどの様な繋がりが?
大塚:出会ったのは20年程前です。その頃は、僕が新宿LOFTに入りたてで柴田さんも多分まだカメラを始めたてだったんですけど、新宿LOFTで1回会って軽くお話させてもらった後、たまたまRising Sun Rock Festivalのバスの中で再開したんです。そこで飲んでちょこちょこ喋って仲良くなって。それ以降は、別に待ち合わせて何かするとかはないんですけど、毎月新宿LOFTで会っているって感じでした。
ーでは結構仲がいいんですね。
大塚:あとは、割と好きなバンドのことをよく撮っていたので会っていました。
ー好きなバンドというのは?
大塚:ザ・クロマニヨンズとかThe NEATBEATSとかの、ロックンロール界隈です。
ーそのあたりの音楽が結構好きなんですね。
大塚:そうですね。
ーでは大塚さんの学生時代からお話を聞けたらと思うんですが、大塚さんは学生時代は?地元は?
大塚:生まれは北海道で育ちは東京です。中高は文京区で、その後は東放学園っていう音楽系の専門学校に行っていました。
ーでは何か音楽活動をしていたんですか?
大塚:コピーバンドくらいだったんですけど、高校3年の時に学園祭が終わってから、もう少しコピーバンドをやりたいっていう同じ考えをもった友達と、原宿のロサンゼルスクラブってライブハウスを借りてイベントをしたんです。それが本当に面白かったんです。そこから、こういう企画ができる仕事に就けたらいいかなって。
ー学生の時に既に企画をやっていたんですね!専門を卒業してすぐにここ新宿LOFTに就職したんですか?
大塚:そうですね。18歳の8月だったかな。最初はアルバイトから始まりました。
ー1999年に新宿LOFTが歌舞伎町に移転してから入社しているんですか?
大塚:そうです!
ー結構長いですね。このライブハウスを選んだ経緯は?
大塚:入社する当時からHi-STANDARDがすごく好きで、しょっちゅうライブを観に行っていました。でも、まだまだ観たりなくて。それで、『MAKING THE ROAD』ってアルバムのツアーの会場だった新宿LOFTを選んだんです。どうしても観たかったんです(笑)。
ー確かにライブハウスのスタッフになれば、観れる確率は上がりますね(笑)。
大塚:なかなかチケットが取れなかったんで。
ーなるほど(笑)。では、Hi-STANDARDの存在があったから大塚さんはここにいるんですね。
大塚:キッカケはそうですね。
ー大塚さんがこれまでで影響を受けた音楽や作品はありますか?
大塚:『I DON'T NEED TROUBLE BECAUSE OF….MONEY』というレコードです。
ーこれは初めて買ったレコードですか?
大塚:いや全然違うんですけど凄い好きで、Hi-STANDARDの魅力が一番詰まったレコードだと思うんです。このCDの収録曲はオリジナルの曲じゃないんですけど、Kenさんのギターとコーラス、Nambaさんのメロディ、TSUNEさんの跳ねるドラムと良いところが全部詰まっているんですよね。
ーこの作品と出会った頃には既にHi-STANDARDは知っていたんですか?
大塚:もちろん。これは当時、即完売していて中々手に入らなくて。しかもCDに入ってなかったので、ディスクユニオンに何度も通って手に入れました。昔はプレミアもついていた気がするな。
ーそうなんですね!
大塚:なので2枚持ってます(笑)。
出演者とお客さんにスタッフ、そして自分が楽しいと思う1日にすること
ー新宿LOFTに入るキッカケはHi-STANDARDでしたが、そもそも学生時代はライブハウスで仕事をしたいっていう想いはあったんですか?
大塚:イベントを企画することが楽しかったから、そういう裏方系の仕事を何かやりたいなと思って音楽系の専門学校に入ったんです。その選択肢の中で一番企画ができると思ったのがライブハウスでした。
ー新宿LOFTではどんな仕事をしていたんですか?
大塚:18歳でアルバイトで入って。20歳の専門学校を卒業するタイミングでブッキング担当として社員になりました。
ーその当時にブッキングで意識していたことは?
大塚:やっぱり、今でこそ分かりますけど、突然声かけても決まらないじゃないですか。だからなんとか打ち上げとか、その日他の先輩とかがブッキングしたイベントの出演者と話す時間を多く作っていました。で最初は、仲良くなったバンドに声を掛けていって、少しずつ慣れていきましたね。
ーバンドマンとの関係値を築きあげながら仕事をしていたんですね。
大塚:そうですね。
ーそれぞれのバンドのバランスをとったりとかは意識されていたんですか?
大塚:バランスというよりも、出演バンドとお客さんと新宿LOFTのスタッフ、そして自分が楽しいなと思う1日にする。それはもちろんバンドのこともそうですし、みんなが幸せになれるような組み合わせで考えていました。
ーそこから店長へ昇格していくわけですが、こういうのって年功序列みたいな感じなんですか?
大塚:いや、多分タイミングだったと思います。前任の店長が辞めるのが決まって。じゃあ次は誰がやる?ってなったときに、当時の社長にやってみるか?って言われて、そのまま立候補したんです。もうやるしかないなって。
ー具体的な店長の仕事内容は?
大塚:店長はスタッフの管理もしますし、運営全般をやります。ブッキングってその日のイベントを組んでライブハウスでこういう企画をやりますよ。っていうのが仕事だけど、ライブハウスの店長はそれを受けて、どのようにその日を回すかを考えたり、どんなドリンクと料理を出して、どんな雰囲気のライブハウスにするかを考えてお客さんを受け入れるのか。そこがメインの仕事です。
ー年々見ている範囲も大きくなって、その分責任感も増えていくんですね。
大塚:そうですね。
ーなおかつ今は4店舗の統括部長ということで、もう少し大きい規模で活動を?
大塚:まあこの4店舗になったのもこの5年くらいでして。新宿LOFTとSHELTERはずっと前からありましたけど、その2つの統括部長って居なくて代わりに部長が見ていたんです。でも、渋谷のLOFT HEAVENと下北沢のFlowers Loftをオープンさせることになり、初めてできたポジションで今は手探りしながら進めています。
ーなるほど。今話に出て来たLOFT HEAVENとFlowers Loftは、大塚さんはオープンに関わっていますか?
大塚:そうですね。両方とも立ち上げスタッフです。
ーどういう意図があってその2店舗は出店したんですか?特にFlowers Loftはタイミングもコロナの直前で。オープンしようと思った経緯を教えていただけますか?
大塚:新店舗立ち上げは自分や社長、そして全社員でお店のことを考えて進行するんですけど、そもそも数年前にオープンしたLOFT HEAVENが、コロナ禍になる前には落ち着いて現場のスタッフに任せられるようになってきたんです。そのタイミングで、下北沢の文化を作っていきたいという考えを持ったビルのオーナーさんから、ぜひこのテナントにライブハウスを迎えたいと話があったんです。で、そこから話が進んでいきました。
ーLOFT HEAVENもFlowers Loftも老舗の2店舗も、どの会場も全然色が違うように感じます。とくにLOFT HEAVENとFlowers Loftに関してはオープンから関わっているということで、大塚さんの意見が取り入れられている部分はありますか?
大塚:LOFT HEAVENは、元々青い部屋っていうシャンソンやジャズの名門だった場所なんです。
それに、新宿LOFTってジャズに憧れを持ったオーナーが始めたジャズ喫茶が原点だったのもあってジャズが聴けるお店にして、週末にはライブをやるっていう流れにしています。当時から出入りしていただいていた方とか、年配の方が座ってゆっくり観れるジャズと、ロックができる店っていうのがいいんじゃないかなと思って。なので基本座りの会場なんです。そして、ゆっくりとくつろぎながらお酒片手に観れるお店にしようっていうのがLOFT HEAVENですね。
ーなるほど。昔のお店の雰囲気を汲み取って作られているんですね。
大塚:Flowers Loftは、下北沢のビルが新築なのでゼロから形を考えられたんです。たまたまビルの形が三角形を2つ組み合わせた形で、ゆとりを持って設計出来たんです。僕はお店のお客さんを大事にできるライブハウスをやりたかったですし、お客さんとスタッフが仲良くなれるくらい距離感が近くて、いつでも「やってる?」と、ふらっと顔を出せるようなお店を理想として案を出していきました。
ーいいですね。
大塚:まず入り口にバーを作って、そこを抜けた先にライブのエントランス受付を作ったんです。そして、一番奥にステージを配置しました。ラウンジに関しては、毎日営業しているんです。チケットを持ってない人も気軽に飲みにこれる溜まり場をイメージしています。外国のライブハウスに近いのかもしれないですね。他の場所では、なかなか平日夜の常連さんを作るのが難しかったんですけど、下北沢っていう土地であれば、Flowersに寄ってもらえる文化が根付くかなって思って。いつでも営業していて、いつでも誰でも入れるライブハウスにしたいっていうのがありました。
ーちなみに、Flowers Loftはどのようなアーティストが出演されているんですか?
大塚:バーを中心に、みんなが盛り上がれるような音楽をたくさん出来たら良いなって思ってるんです。店長がライブハウス上がりの人で、副店長がクラブ上がりの人なんです。なので、夜と夜中で分けて営業する形態に。例えば、週末の夜はクラブ対応の店にしているので、こけら落としが夜の部は、いとうせいこうさんと、あらかじめ決められた恋人たちへかな。で、夜中の部は般若さんとDJ BAKUさんとかに出てもらっていて。
ーへー!面白いですね!
大塚:ていうのが下北沢にあるってすごく良いことだなって思っていて。そういう考えでブッキングをしていますね。
ーそうなんですね。先ほどからちょくちょく話に出て来ている社長さんはどういった方だったんですか?
大塚:話しきれないですけど、オーナーは全てのお客さんや出演者に声をかけて、ありがとうと挨拶をしろって言うタイプで。なんなら出口で全員のお客さんを見送れと。そういう方でした。なので、今は物理的に難しくてもそれをずっと心がけていて。全てのお客さんと、店長が最前線にいるのがいいんじゃないかなっていう解釈のもと動いています。
ーこの場所で20年ほど働いていて、周りの人たちから学んだこととかはありますか?
大塚:やはり、今話していた前社長の小林シゲアキですかね。僕は前社長に育ててもらいましたので。例えばライブハウス側がやりたいことがあっても、実際にそれの開催が難しくて出来ずに前社長に報告すると、『何で出来ないって言うの?』って。これってすごい矛盾しているし、無茶言われているんですけど、『なんとかやろうよ。やれる方法を考えようよ』って物事を捉えていたんです。出来ないを最初に言うなって。僕はそれってライブハウスをやる上で、すごく重要だなって感じたんです。なので、無理じゃなくて、どうしたら出来るようになるかを第一に考えるようにしています。
ー今は後輩を育てていく立場だと思うんですけど、後輩にも今お話いただいたような内容を伝えているんですか?
大塚:いや後輩には、なんでも興味を持って飛び込んで行ってほしいと思っています。こういうのって、自分がやろうとしない限り変わらなくて。なんとなく、音楽業界で働きたい、ライブハウスで働きたい、そこで成長していきたい、ってタイプのスタッフには必ず自分から何かしら行動をしてみた方がいいとは伝えますかね。
ー確かに凄く大切なことかもしれないですね。
大塚:僕は若い人が次の音楽の文化を作っていくと思うんで、出来る限りそういう人にチャンスを渡していきたいです。チャレンジした結果コケてもいいから、やってみなってスタンスでいたいです。
ー凄い良い話をお聞きできましたので、少しふざけたお話も。この仕事をしていて、やらかしてしまったことは何かありますか?
大塚:それは、いっぱいあるんだよな~。なんだろう。言えるやつと言えないやつがありますね(笑)。すごいいいライブの時って、ちょっと飲んでみたくなっちゃいますよね。それを、自分の企画でやってライブ終わる頃にはすごく酔っ払ってるっていう。
ーその気持ち凄くわかります(笑)。大塚さんは酔っ払うとどうなるんですか?
大塚:陽気になるくらいですかね。あ、でもこれそんなにやらかしじゃないな。違う会場のライブのパブタイムとか打ち上げとかで、全く関係ないのにその場で一番盛り上がっちゃうとかですかね。
ー先ほど陽気と言いましたけど、結構はっちゃけるタイプなんですかね。
大塚:まあまあまあ。
ー今は凄く冷静に見えますけど、そうではない一面もあるんですね(笑)。逆に、このお仕事をしていて、すごい嬉しかったことはありますか?
大塚:嬉しかったこともいっぱいあります。一番嬉しかったのは、専門学校の授業の一環で、イベントを企画して実際にライブをするってことがあって。そこでチームリーダーとなって予算内でどういう企画をするか話し合って実行しようとしていたんです。結果、叶わなかったんですけど自分の好きなバンドを呼ぼうって発案して、Hi-STANDARSとTHE HIGH-LOWSにオファーしたんですよ。
ーだいぶ豪華ですね。
大塚:当時はピュアに、こんな凄いイベントが出来たら嬉しいなって思って、実際に両バンドのマネージャーに連絡をしたんですよ。それが21~22年前なんですけど、それから3年後くらいに実際に新宿LOFTで一緒に仕事をするようになって、『あの時凄い立派な企画書を送ってくれたよね?』って当時のマネージャーの2人が覚えていてくれていて。だから、言ってみるもんだなって。凄く感動したし嬉しかったですね。
ー実現しなかったけど、凄い大きなものを得たんですね。
大塚:そうですね。
ライブハウス文化ってライブを中心に考えるのも違うんじゃないか
ーライブハウスって様々な歴史と文化が積み重なっていると思うんですけど、大塚さんはライブハウスの文化についてどう捉えていますか?
大塚:そもそも、ライブハウスに来たことある人って人口の1~2%だと思うんですよ。1%っていっても100万人とかの規模ですけど。ここはそれくらいマイノリティな世界だと思っています。最近は、ライブハウス文化ってライブを中心に考えるのも違うのかなって思っているんです。
ーといいますと。
大塚:この歳になってから数年間ずっと意識しているのは、街にちゃんとコミットするということ。新宿LOFTは毎日何百人と若い人を歌舞伎町に連れてこれる場所なんですよね。で、歌舞伎町を盛り上げようとした時に、音楽をツールとするのはとても良いことであると思うんで、何年も前から町内会の会合に参加しているんです。ある意味、街興しをやりたいなって。で、全く違う業種の飲食店や販売業の人たちと、この街を盛り上げるためには何が出来るのかっていうのをみんなで考えていて。ライブハウスでライブを観るってことのハードルを下げて、もっとライブハウスで音楽を聴く人の間口を広げる活動をやっていますね。だからライブハウス文化というか、ライブハウスを使ってロックを聴く人口や、ライブハウスに行く人口を倍に増やしたら、売り上げも倍になりますし、その分この街に来る人も増えますし、そういうことをやらなきゃダメだなって思います。
ー既にライブハウス内だけで終わらせない活動をされているんですね。では、今は4店舗の統括をしていますが、それよりもライブハウス外のことも視野に入れているんですね。
大塚:やれることは全部やってみたいっていうのもあります。
ー具体的には?
大塚:下北沢のFlowers Loftって街に根付いた場所で、今の店長の人柄もあり、コロナ禍になってからも、元気?みたいなノリでバーに飲みに来たり、町内会の歯医者の人がシャンパン開けに来てくれたりとか、結構クロスオーバーしてるんですよ。ビルのオーナーも飲みに来てくれますし。まあ、下北沢の文化の一翼を担うまではいっていないけど、あの店面白いよねっていうのがちょっとずつ出来てきていると思うんです。そういう店をあちこちに作りたいと思っています。
ーそれは面白そうですね。
大塚:『あの街に行ったらここに顔出さなきゃな』『今日は何か面白いことやってるかな』みたいな。そういう雰囲気のお店を東京にも地方にももっと作ってライブハウスが厳しい現状を変えていけるよう盛り上げていきたいです。なので、ライブハウスで街興ししたいんですよ。
ー最後に、ライブハウスで働きたいっていう読者の方とかに何かメッセージがあればお願いします。
大塚:読んでくれている方は多分音楽が好きだと思うので、よかったら地元のライブハウスに顔を出して、スタッフと喋るだけでも良いし、ビール一杯でも買ってくれたらお店にとってはすごく嬉しいことだから。ライブハウスに顔を出してくれたら嬉しいですね。
ーそうですね。そのライブハウスそれぞれで色があるというか、違いがあるなっていうのはすごく思いますね。自分にあった場所とかを見つけたりするのも楽しいかもしれないですね。
大塚:そう思います。
THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION ARCHIVE
Vol.09:宮下 智史
Vol.08:大塚 智昭
Vol.07:柴田 恵理
Vol.06:岡田 聡
Vol.05:西槇 太一
Vol.04:アヅマシゲキ
Vol.03:豊島”ペリー来航”渉 from Ikebukuro Live Garage Adm
Vol.02:Naomi Fujikawa aka FUJINAMI
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