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culture

THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION Vol.09:Satoshi Miyashita

 photograph by Yuta Kato text by YT


SATANIC ENT.はライブハウスから生まれるシーンを紹介するメディア。では、ライブハウスではバンドやアーティスト以外にどんな人が働いているんだろう? ライブハウスの店長さんやスタッフさんはどんな経緯を経て、そこで働いているんだろう? 言わば"ライブ職人さんたち"に、そんな疑問をストレートに投げつけまくるのが本企画"THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION"! 登場するのはPA、照明、バンドのマネージャーさんやレコーディングエンジニア、ライブハウスシーンを取り巻く人を徹底追求!

ライブハウス店長の大塚さんよりご紹介していただいたのがKeishi Tanakaのマネージャーとして活動している株式会社ヒップランドミュージックコーポレーションの宮下 智史さんだ。所属する会社のエントランスに到着すると、時計は20:30をまわっているにも関わらず、「こんにちは!」と爽やかな挨拶と共に出迎えていただき、ホッと胸をなでおろすような安心感のある人柄を、その1シーンから感じた。そして、準備万端な状態で話をあれこれ窺った。



人との繋がりから音楽業界への道を模索する



ーまず、宮下さんの年齢と地元は?

宮下:今年41で、生まれも育ちも長野県長野市です。高校までずっと長野にいましたね。

ー学生の頃から、音楽が好きだったんですか?

宮下:そうですね。1980年代から90年代にかけてのJ-POP全盛期の中で、TVとかラジオから頻繁に音楽が入ってくる時代だったので、自然にバンドをやりたいとか音楽いいなっていうのを思ったところが出発点だった気がします。

ーその当時ハマっていた音楽とかは?

宮下:そもそも、一番最初に買った音楽のソフトが何だったか遡っていたら、高橋名人っていうファミコンの達人がモチーフの『バグってハニー』っていうアニメ主題歌のカセットテープでした。調べたら当時小学校1年生から2年生くらい。で、テレビっ子だったんで、ベタですけど主題歌のCDとか、TVに出演しているアーティストの音楽を聞いて、楽器やりたいって思い始めました。バンドサウンドっていうと、小学校5年くらいの時に、THE ALFEEがとんねるずのテレビ番組に出演していたんです。そこで、高見沢さんのエレキギターのソロの音色を聞いた時に純粋にかっこいいなと惚れ込みました。その時期に、地元の長野で彼らのコンサートがあったので、親と観に行ったのが初めてのライブ体験。

ー宮下さんの同世代からすると、あ~それそれ!って共感させるような話なんですかね。

宮下:どうですかね。あと6個上の兄貴がいたんで、結構兄貴の聞いていた音楽を小学校時代から聞いていたなと思い返していました。当時渋谷系と呼ばれていた、高野寛さんやORIGINAL LOVEにPIZZICATO FIVEとか。その辺は知らず知らずのうちに入っていたというか。



ーでは実際にギターを弾かれていたりとかは?

宮下:本当にかじるくらいで。クラシックギターが家にあったので習いに行ったのですが、1年もやってないんじゃないかなって感じで。それが小6くらいですね。

ー中高ではどんな音楽にハマっていたんですか?

宮下:当時一番衝撃的だったのは、ヴィジュアル系です。X JAPANをはじめ、90年代のヴィジュアル系バンドに憧れていました。なので髪をロングにしてみたり、友達とバンド組んでみたりもしましたね。ていうところから、多い時は週1くらいで地元の長野Jっていうライブハウスに、ヴィジュアル系のライブを観に通っていました。

ーそうなんですね。なんていうバンドなんですか?

宮下:初めてライブハウスで観たバンドは、当時はまだインディーズだったPlastic Treeっていうバンドで、たまたま雑誌で情報をキャッチして、CDを買ってライブを観に行ってからヴィジュアル系にどっぷりハマってしまい、毎週のようにライブハウスに行ってましたね。実家にまだチケットの半券をとってあるんですけど。すごい厚さになってました。

ーすごいですね(笑)。ちなみに、宮下さんは大学で上京しているんですか?

宮下:そうなんですけど、実は高校の時に、ヴィジュアル系のバンドをやりたくて1回上京しているんです。

ーそうなんですね!

宮本:でも失敗して地元に戻るっていう。

ーなるほど(笑)。

宮下:で、高校のときにヴィジュアル系と、当時流行っていたGreen Dayなどのメロディックパンクや、それこそHi-STANDARDとかのコピーとかしていて。長髪のピンボーカルでHi-STANDARDとか歌ってましたね。『Growing Up』とかあの辺ですね。今となっては恥ずかしくて写真も見せられないです(笑)。



ーでは、宮下さんは大学時代以降、どのように今の仕事への足がかりを掴んだんですか?

宮下:で、上京を一度失敗しているっていうのもあって、自分はプレーヤーじゃないって漠然と思った時期があって。そこから、大学受験して一年遅れで上京してしばらくはバンドとかの世界から離れていたんですけど、現在the band apartのマネージャーをやっている掛川という地元の同級生が、リミテッドレコードっていうインディーズのレーベルで働き始めたという話を聞いたんです。

ーじゃあ最初は友達の仕事でマネージャー業務の存在を知ったんですね。

宮下:はい。彼は、CDショップのバイヤーの仕事をしていて、そこから人の繋がりで入ったみたいで。自分は、漠然と音楽に関わる仕事をしてみたいなっていう思いがあったので、『そういう道もあるんだ』と思っていました。大学の3年のときにタワーレコード新宿店でアルバイトを始めて、1年くらい経ったときに、その友達が当時1枚目のアルバムを出したthe band apartが独立するところについていくっていうので、彼の働いていたリミテッドレコードに後釜として入社したというのが、この業種のスタート地点みたいな感じですかね。それが2003年のことで。

ーじゃあマネージャーに絶対になりたいというような、感じではなく。

宮下:音楽業界に関わりたいという、ほんとに漠然としていました。ビジョンが見えていたというよりは、人の繋がりで入れるということで、本当に興味本位で飛び込んだって感じですね。

ー初めての社会人がリミテッドレコードのマネージャー業務だったんですね。

宮下:いえ、いきなりマネージャー業務じゃなくて、最初はA&Rやディレクター業務のアシスタントから始まったんです。その当時大学4年だったんですけど、大学を卒業する頃に、当時リミテッドレコードでthe band apartのディレクターをしていた加藤浩志さんが立ち上げたK-PLANという会社に来ないかって声をかけてもらったのが、翌年の2004年とか。その会社の社員は3人~5人くらいの少数精鋭だったので、制作から宣伝、the band apartの現場マネージャーや、自分でもアーティストを担当させてもらって。10年前に今の会社に一緒に移籍してきたavengers in sci-fiをはじめ、he、the court、BALLOONS、99RadioServiceを担当していましたね。



ー最初は分からないことだらけだったんじゃないですか?

宮下:もう本当に右も左もわからなかったですし、車も運転したことがなかったです。

ーマネージャー業務はK-PLANに入社してから学んだんですね。

宮下:今でもマネージャーっていうのを、言葉にして説明しろって言われたらちょっと難しい部分ではあるんですけど、100のアーティストがいれば、100通りのマネジメント方法論があってもいいと思うし。

ーでは、具体的に宮下さんはどのような仕事をしているのですか?

宮下:そうですね。一番自分の中でしっくりくる言葉としては、調整役ですかね。分かりやすいところで言えばスケジュールやお金の管理。あとは、アーティストやいろんなメーカーや外部の人との中心で、リレーションを取りながら作品やライブを作り上げていく。そのプロジェクト自体を全部認識して、動かしていくみたいなところがマネジメント業務なのかな。

ーマネージャーによってアーティストがよく見えるパターンも、逆にすごく悪く見えてしまうパターンもあると思います。バンドを良く魅せるという点でも重要な立ち位置かなと思っていて。その点で宮下さんが意識していることはありますか?

宮下:やっぱり見られているっていう意識はスタッフにとっても必要なことかなって。自分も常に見られているという感覚は必要なのかもしれないですね。僕も気をつけます(笑)。

ーあと、バンドの方の手がまわらない部分をサポートされたりもするんですか?

宮下:そうですね。アーティストって音楽を作ってそれをライブや作品としてアウトプットすることが本来の役目じゃないですか。そこに対してプラスアルファで必要な部分。マネジメントに関わらずですけど、ライブで言えばPAさんや照明さん、作品のリリースで言えばメーカーさんだったり。バンドだけじゃ表現できないことを表現したり、バンドをよりよくみせるためにスタッフというのは存在するのかなって。

ーちなみに、マネージャーの業務に就いてからは何年くらいが経ちますか?

宮下:2004年くらいからなんで、17年。早いですね(笑)。

ーなぜ長い間続けてこれたんですか?

宮下:うーん、やっぱり音楽が好きなんじゃないですかね。あとはその音楽を生み出す人が好きとか。続けているからこそ、繋がれる関係性や経験値とかもありますし。やっぱそこの積み重ねみたいな想いが強いのかなって思ったりしますね。

ー今はKeishi Tanakaさんのマネージャーをされていますけど、それはいつ頃から始めているんですか?

宮下:Keishi Tanakaは、以前K-PLANの初期の頃からRiddim Saunterってバンドでボーカルをしていて、実は過去に新人発掘で彼らを追いかけていたんです。2011年に解散しちゃうんですけど、その後もソロで精力的に活動をしていて。2017年に入って久しぶりに連絡を取り合ったことがキッカケですね。

ーだいぶ愛着のあるアーティストさんなんですね。

宮下:そうですね。それこそKeishi Tanakaは、ある意味憧れのアーティストだったので、彼と今一緒に仕事ができているっていうのは光栄に思います。それに、振り返って思うのが関わらせてもらっているアーティストはほんとに好きなアーティストしかいないなって。



ー宮下さんはマネージャー業務以外にされていることはあるんですか?

宮下:Keishi Tanakaを担当しつつ、この春から系列会社の株式会社MASH A&RでTHE ORAL CIGARETTESのライブ制作の仕事を始めています。あと、外部の会社に所属するアーティストなんですけど、9mm Parabellum Bulletや、ROTH BART BARONのライブのお手伝いもお話をいただいてやらせていただきました。

ーライブのお手伝いというと、具体的には?

宮下:ざっくり言うと、イベントの主催や会場関係者やスタッフらの間に入って連絡を取ったりと、やっていることはマネージャー業務と重なることも多くて。ライブを作るためのリレーションとか。調整役って感じのことをやったり。もちろん当日会場に行って、業務も行います。

ーじゃあ今までのマネジメント業務などがあった上でのお仕事なんですね。

宮下:そうですね。長年やってきているからっていうのもあると思うんですけど、例えばフェスの現場に行った時に現地で仕切っているスタッフさんが顔見知りになっていったりとか。でもそれって、今までの仕事がある上で成り立っているのは間違いないと思います。



一緒に作品を作る気持ちはやりがい以外の何ものでもない



ーすみません。全然関係ない話なんですが、パソコンに貼ってあるステッカーがずっと気になっていて。

宮下:これは、「ウェルビー福岡」っていうサウナ施設のステッカーです。僕サウナが好きで。

ーその上のは?

宮下:こっちは御在所って三重県四日市の通称「御在所の男」と呼ばれるOYAZIさんっていう個人イベンターさんですね。Keishi Tanakaのツアーを企画してもらったりもしています。

ー面白そうなステッカー貼ってあるなって思って。

宮下:この前久々に現場で会ったときにもらったんで、貼らせてもらっています。

ーでは、趣味はサウナなんですね。

宮下:そうですね。サウナ大好きですよ。

ーなぜサウナにハマったんですか?

宮下:漫画家のタナカカツキさんの作品の「サ道」っていう漫画とエッセイがあって。それを読んだのがキッカケで、サウナに行ってみたんです。結構そういう人多いと思います。



ーちなみに、おすすめのサウナは?

宮下:オススメはありすぎて大変ですよ(笑)。ツアーで全国にものすごく行っているので実は、これ自分のグーグルマップなんですけど、過去に行ったことのある施設に星印をつけているんですが、こういう感じなんで。

ーこれすごいですね。全国制覇していますね(笑)。

宮下:結構行きました。あとは、韓国とタイでも行きました。自由時間に検索したらタイになぜか日本のスーパー銭湯を発見して、これは行かねばって(笑)。暇さえあればよく検索しています。

ーこういうのは、Keishi Tanakaさんだったり関係者さんと一緒に行かれるんですか?

宮下:いや、基本的には一人ですね。

ーでは、気持ちをリセットというか切り替えたりする役割も?

宮下:そうですね。それこそ、明日までに企画を練りたいって時にカプセルサウナに泊まって企画書を作ったりとか。やっぱりリラックスしたりリセットさせてくれるので、何か考えたい時にはいいですよね。



ーあ、企画とかもやられたりするんですか?

宮下:例えばプロモーションの企画だと、こういう曲だからこういうアプローチ面白いんじゃないかってことや、ライブでこういう演出どうかなとか。今後こういうところ目指して行きたいとか。考えることは多分山のようにあるんですけど、そういうのも楽しいですね。

ー結構表現者的な部分も含まれているんですね。

宮下:やっぱり、誰かが教えてくれる教科書っていうのがない職業なので、アーティストとコミュニケーションをとりながらですけど、彼らが作る音楽に対して、それをどう広めてどう表現しようかが大切になってきますし。

ーなるほど。

宮下:もちろんアーティスト自身は作り手なので、それを客観視してあげられる立場だと思います。新曲をお客さん目線で聞いて、じゃあ、その向けたい層のお客さんに対して、自分はこう思うよとか。ある意味、そのスタッフだからそういう意見が言えるというか。

ーでは バンドメンバーの一員という認識に近いんですね。

宮下:まあほんとにその通りですね。一緒に作品やライブを作っているという気持ちです。

ーそういうところがやりがいにつながっていそうですね。

宮下:そうですね。やりがい以外の何ものでもないですね。

ーでは最後に、今後さらにやってみたいことはありますか?

宮下:さっき自分の年表を見た時に、マネジメントの仕事を始めて17年ということにただただビックリで。まあ思い返すとその時その時でガムシャラにやってきたなっていうのもありつつ。この先は、各アーティストに適した方法論をより模索していきたいなって思います。自分の中で意識したいのは、アーティストが望んでいることに対して、どれだけ貢献してあげられるか。アーティストが望むものがなんなのかを共有して、そこに対して自分がどれだけ力になれるか。そして、アイデアなどをどれだけ提供できて、結果を残せるのか。やっぱりこう、時代というか、自分自身も時代に合わせて変化していかないとなって思いますね。

ーなるほど。

宮下:それがまず一つと、あとはそれこそ業界に入って20年程経って、素晴らしいミュージシャンやスタッフ、本当に何人の方と知り合ったのか分からないくらいになってきました。これまで出会ってきた人たちや、これから出会う人たちも含めて、人と人を繋ぐ仕事というか、人と人を繋いで音楽や音楽業界の人に貢献できることが出来たらいいなというイメージでいます。



Keishi Tanaka

HIP LAND MUSIC

MASH A&R

THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION ARCHIVE

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Vol.07:柴田 恵理
Vol.06:岡田 聡
Vol.05:西槇 太一
Vol.04:アヅマシゲキ
Vol.03:豊島”ペリー来航”渉 from Ikebukuro Live Garage Adm
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