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interview

THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION Vol.12:Sayaka KyonKyon Koizumi

 photograph by Yuta Kato text by Teneight



SATANIC ENT.はライブハウスから生まれるシーンを紹介するメディア。では、ライブハウスではバンドやアーティスト以外にどんな人が働い ているんだろう? ライブハウスの店長さんやスタッフさんはどんな経緯を経て、そこで働いているんだろう? 言わば"ライブ職人さんたち"に、そんな疑問をストレートに投げつけまくるのが本企画"THE CRAFTMAN SATANIC CONNECTION"! 登場するのはPA、照明、バンドのマネージャーさんやレコーディングエンジニア、ライブハウスシーンを取り巻く人を徹底追求!

加藤さんよりご紹介していただいたのは、吉祥寺のライブハウスWARPにて店長を務める小泉“きょんきょん”紗也加さん。27歳でWARPの店長に就任すると、その人柄とアッと言わせるアイデアで人を惹きつけ、コロナ禍のライブハウスを盛り上げている。



北浦和エアーズからライブハウス人生が始まった


ー加藤 剛さんとはどういった繋がりなんですか?

小泉:地元が新潟なんですけど、上京して通っていた専門学校が、剛くんと一緒だったんですよ。なので、剛くんとは学生時代の同期になります。あの世代の同期でまだ残っているのが、剛くんと私と他に2人いるだけなんですよね。

ー結構少ないんですよね。

小泉:でもお互いに学生時代は全然話したことなくて。以前専門学校の同期の飲み会があってそこで会って。あれ??って。なんならその会の前日にWiennersがWARPでライブをしていて、一緒に仕事していたんです。私がブッキングしたライブで、剛くんとギャラの話とかしていて。『俺たち同級生だったんだ!』って。

ーそんな出会いもあるんですね(笑)。では、そもそも何故ライブハウスで働こうと思ったんですか?

小泉:高校の時からバンドが好きで、学校帰りによく制服で遊びに行っていました。その頃からライブハウスで働きたいなって思い始めていたんですけど、当時は求人が載っていなくて。なんとなく、スキルが無いとライブハウスって働けないんだろうって勘違いから、じゃあ上京しよう!って突発的に思って音楽の専門学校に入学したんです。

ーそれで都内の学校に?

小泉:はい。上京して専門に入って、それと同時に北浦和エアーズってライブハウスでもバイトを始めました。そこからライブハウスでの人生が始まっていきました。

ーライブハウス一筋なんですね。

小泉:そうですね。人生の初バイトがライブハウスでした。



ーちなみに、学生の頃はどんなバンドを観ていたんですか?

小泉:それこそ友達バンドのライブも観に行っていたし、BUMP OF CHICKENやストレイテナーが新潟に来る時は絶対観に行っていました。

自分から動いている人が気に入られる業界


ー先ほど専門学校に入学したと言っていましたが、ライブハウスで働く為には専門の知識が必要なんですか?

小泉:あまり関係ないと思います。高校の時はライブハウスで働くためには、技術職が必要と思って、PA専攻で入ったんですよ。当時の偏見で、知識がないと入れないのかなって思っていたんですけど、そんなことありませんでした。今思えば、早くから現場に飛び込んじゃえば良かったかな!って思います。

ー専門学校に入ったと同時に始めたエアーズでは、どんな仕事を?

小泉:そのライブハウスは特殊で、全部の仕事を経験させてくれたんですよ。だから、全員が照明も受付もドリンクもブッキングも一通りやりました。

ー変わってますね!

小泉:そこで適正を見極められるんです。最初はドリンクと受付から始めて、次に照明もやり、最後にブッキングもやって。その時が19歳かな。そこから、最寄りの北浦和駅前でギター背負っている人にひたすら『バンドやってんの?近くのライブハウスで働いてるんだけど、行ってみようよ!』って声を掛けていました。それで高校生のイベントも組んだりしていて。

ー本当ですか?

小泉:遊びにきている高校生とかにも、『バンドやってるの?』ってしょっちゅう声をかけていたら、当時のエアーズの店長に、『お前ブッキングの方が向いてるよ』って言われて。最初はPA志望でアルバイトを始めたんですが、そこからもう10年程ブッキングをやっています。

ー行動力が凄いですね。

小泉:当時は若かったなって思います。



ーなんでエアーズは辞めたんですか?

小泉:そこのライブハウスが高校生バンドのライブがメインだったのと、2年働いて徐々に都内のライブハウスで働きたいなって思い始めて。元々エアーズで働いていた吉祥寺 SHUFFLEの店長が、たまたまエアーズに遊びにきていた際に話して。その後、私から電話して吉祥寺 SHUFFLEに1日遊びに行かせてもらっていました。それから仲良くなっていくうちに、『ウチ人いないんだけど、一緒に働かない?』って声をかけていただいたんです。

ーとにかくアクティブに動き回っていたんですね。

小泉:そうですね、自分から仲良くなりに行ったといいますか。

ーそこまで動き回れる源にはなにかあるんですか?

小泉:この業界って体育会系で、自分から動く人が気に入ってもらえるのは、なんとなく分かっていたので、自分から気になるところに足を運んでいたんです。あとは、やっぱり人だなと思っていて。SHUFFLEという場所にこだわったというよりも、SHUFFLEの店長の中島さんと一緒に仕事したいって気持ちが、異動した大きな理由でした。

ー確かに体育会系かもしれないです。

小泉:そこでも2年働き、私がSHUFFLEを辞める時にWARPの元店長が声を掛けてくれて、こっちに移ってきたんです。WARPは今から8年前の22歳の時に入社しています。近いライブハウス間での異動になっちゃったんですけど、その当時も店長のレオナさんと働きたい!って気持ちが強かったことが決断の理由ですね。



ーWARPでは、初めからブッキングのお仕事を?

小泉:そうですね。ブッキングを4年くらいやっていました。そこから引き継ぎ期間が1年間あり、3年前の27歳の時に店長として独り立ちしました。

ー27歳の時から店長なんですね!店長をやるキッカケになった出来事はあったんですか?

小泉:店長をやりたいです!って感じではなくて。本社での会議終わりの電車で前店長に『お前店長やるのどう思う?』って言われて、『それ、やります!』と答えたんです。それで、4年前くらいにスタッフ全員が参加した飲み会で、前の店長から『来年から店長をきょんきょんにするつもりなんで、よろしくお願いします!』って言われて(笑)。

ー突然言われたんですね。

小泉:レオナさんは私の前に店長を12年も勤めていたんですよ。なのでそろそろ次の人に変わるタイミングだったんです。で、私がWARPに入る時点で店長候補として誘われていたので、まあ時期が来たら店長になるんだろうって思っていたので、流れとタイミングですね。

ーそのレオナさんから受け継いだことや学んだことはありますか?

小泉:最近は『ちゃんとレオナさんの血が流れているね』って言われるんですけど、それは関わる人を大切にして周りに沢山の人が集まってくることだと思うんです。レオナさんは売り上げでバンドを見るんじゃなくて、動員は少ないけどライブが良かったり、人がいい子たちを最初から最後まで面倒を見る人でした。だからそういうバンドが自ずとWARPに集まってきていると感じています。これは本人から言われたというよりも、背中を見て学んだ部分が大きいです。



ーちょうど、2年前くらいからコロナ禍になって、大変な時期でしたね。

小泉:順調だった売り上げも一時はガクンと下がってしまって。それからは、色々やりました。1回目の緊急事態宣言の時ってライブハウスは1ヶ月程どこも休んでいたと思うんですよ。その休業しているタイミングで工事をして、レコードショップだった場所を4Fに移し、バーカウンターに作り替えました。ライブが出来なくても、バー営業で稼げるようにしたりとか。

ーそこも行動が早いんですね。ちなみに、ここのライブハウスって変わった作りになっていますが、このライブハウスの魅力は?

小泉:それこそ、フラッとバー目的で来たお客さんが、ライブ中のバンドに興味を持ってもらえたら、その場でチケットを購入してライブも観てもらえるシステムにしています。そこで新しいバンドに出会える瞬間も増えるのかなって。

ー確かに。

小泉:あとは、クラブ営業もやっていて。ステージじゃないスペースにもスピーカーを設置しているので、1FではDJも回してもらったり。なので、ビル全体を使って楽しめるのがWARPですね。あとは上の階にスタジオもあるので、楽屋として使ったりも出来ます。あとは、上にも下の階にもバーカウンターがあるので、どこでも楽しめるというか。

ー都内だと珍しいですかね。

小泉:そうですね。あとはコロナになってから、ゲストバーテンダーっていうのもやっていたんです。全くライブが出来ていなかったから、その代わりに日替わりでバンドマンが毎日バーテンとして立って、物販も自由にやってもらったり。マイクは無いけど、弾き語りをしてもらって、投げ銭を持っていっていいよとか。そういうこともしましたね。

ー結構バンド側も協力的なんですね。

小泉:そう!だから、基本的に楽しんでやってくれるんです。



ーWARPには8年程いますが、ここまで続けてこれた理由はなんですか?

小泉:WARPにいると色んなバンドとの出会いがあって、若い子たちと出会うと刺激も受けますしね。ライブハウスのブッキングってゼロからイチを見れる仕事だと思うんです。初出演でお客さんが0の状態からスタートして、一緒にどうしたらお客さんが入るかって考えながらやっていくことが、私は面白いなって思っていて。8年もいたら、初出演から解散まで見ることもありますし、この先、ウチによく出入りしているバンドがどうなるか見届けたいっていう気持ちもあるから、辞めるにはまだ早いし、これからも出演してくれるバンドと色々やっていきたいです。

ーでは小泉さんの頭の中には、他にもいろんなアイデアや計画が詰まっているんですね?

小泉:そうですね!

ーちなみに、この仕事で失敗しちゃったことってありますか?

小泉:ありますよ!全部お酒のエピソードです。今考えると若いなって思うんですけど、ブッキングでWARP入りたての時は、女ナメられたくねーって尖りまくっていたんですよ。当時は24歳で、ブッキングでこんな小娘が出てきたら、ナメられてもしょうがないなって思うんですけど、それが嫌で先輩から出された酒は絶対飲んでいました。

ーそこなんですね。

小泉:馬鹿ですよね(笑)。考え方が安直で、同じ土俵に立てるのは酒しかないって思っていたんです。もうちょっとやり方があったと思いますけど、私は打ち上げでパンチを残して仲良くなっていたので、めちゃくちゃ飲みまくっていました。それこそ当時のイベントで、OPEN前から出てくるお酒を全部飲んでいたんですけど、みんなのペースで飲んでいたら、結局潰れてたんですけど、それも、潰れちゃった私の隣にPAの先輩が『きょんきょん~』って言って、添い寝しだしたタイミングで私が寝ゲロしちゃって(笑)。

ーそれヤバいですね。

小泉:他にも飲み過ぎて事務所で潰れてたり。でも後悔はしていないです。それがあるから、今があるんだと思っていて。

ー今でもそういうことは?

小泉:もうないです!30歳になってまでそんな失敗はしないです。

WARPオモロいことやってんな~って思ってもらいたい


ーではこの仕事の辛い部分も教えていただけますか?

小泉:ブッキングが決まらない時ですかね。ブッキングで病んじゃう人も多くて。やっぱり、5~6バンド決まるまでに、余裕で10バンド断られたりするんです。

ーだからこそ、バンドマンとの関係値がすごく大事なんですかね。

小泉:私は打ち上げで仲良くなってきましたし、酒の場で決まる話って多いんですよ。じゃあ何月のこれやろうよ!って。結構営業に近い形になるんですかね。居酒屋で飲んでるけど半分は仕事みたいな。

ー本当に好きな人じゃないと勤まらない仕事なんですね。逆にここ最近で楽しかったことは?

小泉:ブッキングで『きょんきょんさんがいるから出ます』って言ってくれるバンドがいるのは、常に嬉しいなって感じています。そういうのは凄いありがたいなって。あとは、昨年末にMUSHSってバンドのアルバムを自分のレーベルからリリースできたことが1番嬉しい出来事でしたね。



ーえ、レーベルもやっているんですか!?

小泉:そうなんです。このCDが初めてレーベルで出したCDです。

ー具体的にどれくらいの規模でやられているんですか?

小泉:元々レーベルには全然興味がなくて、やるつもりも無かったんですけど、このMUSHSのメンバーが同い年で、私がWARPに入る前からずっとここでライブをしてくれているんですよ。で、私もずっと好きで仲もいいので、割とMUSHSの為に創ったと言っても過言ではないです。これは12曲のフルアルバムなんですけど、レコーディングをする時に、自分たちでやるのか聞いたんです。そしたら、『流通は興味が無いからあまり考えてないんだけど、きょんきょんがやってくれるんだったら出したい』って言ってくれて。じゃあやるか!って。なので彼らの言葉がキッカケですね。それに、私も丁度新しいことをやりたいって思っていた時期で、レーベルならWARPの外でも色々発信していける仕事なので、やろうかなって。今絶賛ツアー中です。

ーでは小泉さんが1人で活動しているんですね。

小泉:そうですね。私が個人的にやっています。

ー今後は、他のバンドもやっていく可能性も!?

小泉:あるかもしれないですね。それもまた出会いというか。私のところでやりたいって言ってくれるバンドがいるんだったら力になりたいですね。メンバーにも言ってるんですけど、別に売れっ子レーベル程の知名度がある訳じゃないので、1~100までは無理だけど、1~25くらいには出来るよって話をしていて。



ー小泉さん、スタッフやバンドマンからすごく慕われてそうですね。

小泉:ありがたいことに、最近はウチのスタッフも辞める子がいないですし、スタッフ同士も仲が良くて、休みの日でもみんなで飲みに行ったりしますね。

ーそれは良いことですね!では、最後に今後の目標やアナウンスはありますか?

小泉:今ブッキングイベントって減ってきているなって感じているんですけど、これからも箱発信のイベントをどんどんやっていきたいなって思いますね。それに、面白いこともWARPから発信し続けていければいいなって思っています。バーもそうですけど、一昨年の冬は夜19:00以降にお酒を出せない規制があったんで、『夜に出来ないなら、朝やれば良くない?』って、早朝のツーマンとかもやってみたり。

ー本当ですか?(笑)。

小泉:出勤前のサラリーマンに来てもらいたくて、朝の7時スタートでやりました。4回くらいやったかな。結果それは評判が良くて話題にもなって嬉しかったですね。

ーめちゃ面白いですね。

小泉:アハハ(笑)。

ーこんなに小泉さんの発案でやっていることが出てくるとは思っていなかったんで。

小泉:『WARP頭悪いな~。オモロいことやってんな〜』って思ってもらえたらいいんです。ここはそれができる良い会社で、上司も『やれやれ!』って背中を押してくれるんです。逆にコロナになったから、色々なことにトライ出来る期間だと捉えているし、面白いことをやったもん勝ちというか。どれだけツイッターのタイムラインで注目してもらいウチのライブハウスに興味を持ってもらえるかを、楽しみながらできているんで、これからもWARP発信のイベントなどは注目して見ていて欲しいですね。





LIVE HOUSE KICHIJOJI WARP
http://warp.rinky.info

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Vol.10:椵山 武志
Vol.09:宮下 智史
Vol.08:大塚 智昭
Vol.07:柴田 恵理
Vol.06:岡田 聡
Vol.05:西槇 太一
Vol.04:アヅマシゲキ
Vol.03:豊島”ペリー来航”渉 from Ikebukuro Live Garage Adm
Vol.02:Naomi Fujikawa aka FUJINAMI
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